弱者が強者の論理を内面化するとき ― 25年分の記録 — 小学校の教室で初めて見た構造を、中学、職場、隣人、そして国家の中で見続けてきた。複雑性PTSDの評価を受ける前に、事実を記録しておく。個人名はイニシャル、学校名と組織名は実名で。
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弱者が強者の論理を内面化するとき ― 25年分の記録

エッセイいじめ複雑性PTSD構造記録

English version: When the Weak Internalise the Logic of the Strong — A 25-Year Record

はじめに

私は現在、複数の医師から複雑性PTSDの可能性を指摘され、専門病院で評価を受け始めるところだ。診断が確定するまで3ヶ月から1年かかると言われている。

この記事は、その原因になったと私が考えている出来事を、記録したものだ。

書く前に、方針を三つ決めた。

第一に、個人名はイニシャルにする。学校名と組織名は書く。

第二に、私が傍観者の側に立った場面も書く。それを省けば、この記録は嘘になる。

第三に、感情は書くが、罵倒は書かない。25年間、誰にも整理して聞いてもらえなかった話を、初めて整理して置く。それだけで十分だと思っている。

1. 小学校 ― 山形大学附属小学校

両親が研究のためデンマークに滞在した2年間を除いて、私は小学校の4年間をこの学校で、ずっといじめられて過ごした。

1年生のとき、遠足で同じグループにいた6年生が、笑いながら言った。「飴をあげるから、パンツを脱いで生殖器を見せてみろ」。私は嫌だと断った。彼は「え?飴が舐められるのに?見せるだけでいいのに?」と食い下がった。私はもう一度、嫌だと答えた。

なぜあのとき断れたのか、今も分からない。あえて言えば、6年生を保護者のような存在だと思っていて、悪意を想定していなかったからかもしれない。その後、同級生から暴力を受けて、考え方が変わったのかもしれない。

同じ頃、水泳の着替えでバスタオルに身を包んでいたとき、隣にいた女子のAさんが、私のバスタオルを剥がそうとした。

1〜2年生のとき、クラスのガキ大将だったYa君を含む数人に囲まれて、他の全員がいる中でなぎ倒され、後頭部を打ち、ズボンと下着を脱がされ、お尻を鷲掴みにされた。病院で診察を受けたことがある。

So君とSh君には、公園の人けのない場所で下着を見せるよう言われ、反論できずに見せた。自宅倉庫の暗証番号を、彼らを信じて教えたら、倉庫は荒らされた。So君の家に抗議に行くと、母親が出てきて「ウチの息子がそんなことを本当にしたんですか?」で終わった。

体育の後、着替えて下着姿になっていたとき、Sh君が笑顔で下着に手を入れ、私の性器を掴んで露出させた。状況を理解するまで、1分くらいかかった。教室には先生も女子生徒もいた。

So君とSh君は私を外に呼び出し、私が自転車に乗り慣れていないと知りながら、何層にもなる段差を指して言った。「自転車に乗って、この段差を降りてみろ。これは訓練だ」。私はこの段差が危険だと分かっていたし、このまま降りたら最悪死ぬのではないかと感じた。それでも仕方なく降りた。自転車はバランスを崩し、私は転げ落ちた。幸い大きな怪我はなかった。So君はそんな私を見て言った。「すごい、勇気があるじゃないか!」。私は激しい違和感を覚えた。

記憶は薄れているが、彼らからの別の暴力でも、病院で診察を受けた気がする。

後日、親がこれらのうちの一部を担任に伝えて苦情を言った。担任はSo君に、私の前で謝るよう求めた。So君は昼に食べたものを吐き、謝罪はないまま、事件は「自然消滅」した。

その少し後、私は隣の席の女子が描いた女の子の絵に、彼女の気持ちが分からずに「男らしいね」と言ってしまった。彼女は泣き崩れ、同じ担任に、私から「攻撃」を受けたと訴えた。私は恐怖に駆られた。担任は私に言った。「So君やSh君はYくんに謝ったよね?今度は君が彼女に謝る番ではないのか?」

私は謝った。

ただ、私が受けたのは、暴行と、下着を脱がされたことと、性器を掴まれたことと、死ぬかもしれない段差を降ろされたことだった。担任が把握していたのはその一部で、So君の謝罪は成立していなかった。それでも担任は「謝ったよね?」と言い、私が彼女に言った一言と、私が受けた一連の行為を「同じ重さの罪」として扱った。6歳か7歳の私は、それに激しい違和感を覚えた。この違和感が、この記録の出発点だ。

このお話には続きがある。Sh君が、今度は性的被害者になった。ある日、彼はクラスで泣き崩れていた。着替えの最中に「イジメに会った」と言い、私に命令口調で「この件、誰にも言うなよ」と言った。私は事前に不穏な空気を感じ取っていた。彼が着替えようとする最中に、彼の「友人」たちが近づき、その様子に「興味」を持っているように見えた。予想は的中した。彼は一見、友人たちと楽しそうに話していたが、彼の表情や声のトーン、言動からして本当は、彼は友人たちを避けたいのではないかと私は思っていた。私が彼の内面を感じ取れたのは、私自身がいじめを受けたときの反応と、彼の反応が似ていたからだ。

正直に書く。私は彼に一定の同情を持ちながら、真っ向から矛盾する感情も持っていた。私が彼から受けてきた仕打ちを、今度は彼が受ける番になっただけのことだ。清々している、と。そして、先生には共有済みのようだったし、私に命令口調で言っている時点で、彼はまだ私を対等な存在だと見ていない。そう感じて、私はその後、特に何もしなかった。

これが、加害者と被害者が入れ替わるのを私が初めて見た場面だ。

帰国後の5〜6年生では、クラスの実権が男子から女子に移っていた。Iさんを中心とする女子グループに敵視され、私は孤立した。誰も本気で助けようとしなかった。彼女たちは他の男子も標的にしていた。下着姿の男子の透けた乳首を見て「キモ!」と言い、彼のボールペンを床に投げつけて壊した。女子たちから「気持ち悪い」と避けられていたMi君と、私も内心、距離を置きたいと思っていた。自身もいじめられていたF君は、その鬱憤を晴らすように私をいじめるようになった。トイレで用を足しているとき、背後から尻を力一杯蹴られ、怯える私を彼は嘲笑した。

6年生の遠足では、同じグループの1年生から嫌がらせを受けた。いじめ返せばいいのに、私にはそれができなかった。それを見た同級生の女子たちは、「あいつ、低学年からもいじめられてやがる」と呆れていた。

6年生の最後の水泳授業。私は体調が悪いといい、担任のM先生に欠席を申し出た。私が欠席していた理由は、この授業は着替えを要するからだ。私が過去に性被害にあってきたことから私はこの授業が嫌いだった。先生は私の主張に嘘があると見極めて言って半ば強要してきた。「あなたはずっと嘘をついてきましたね。水泳に参加する気なんて元からないんでしょうね〜?」私は結局着替えて参加した。水泳が終わった時、自分の生理的反応に気づかず、それに気づいた女子たちから「おっさん」と侮辱され、Ya君たちから性器の反応を指摘された。

担任が私の欠席の理由を怠慢だと断定しなければ、こんな思いをせずに済んだ。私はこの場面を、33歳の今も細部まで覚えている。

同じ年、個室トイレで用を足す私を、Sh君がドアによじ登って覗いていた。彼は6年生になっても、自分が過去に性被害を受けたにもかかわらず、「相変わらず」だった。

卒業の1ヶ月ほど前、私になど興味がないはずのMaさんが、どこか寂しげに言った。「Yくんは愛知県に行くんだね。私は、みんなとは別の中学校に行くんだ」。彼女はIさんとよく行動を共にし、私が孤立しているのを見ても何とも思わない人だった。ある日、鼻をかむティッシュがなくて教室のトイレットペーパーを使っていた私を見て、「Yくん、キモ〜!」と言って去っていったこともある。謝罪は一度もない。社会に出てから、彼女の言葉をこう解釈するようになった。選別する側に立ってきた人間が、今度は自分が選別される側に立つ恐怖を感じ取っていた。そしてその不安を「打ち明けやすい」相手、つまり対等だと思っていない相手に、今さら打ち明けてきたのだ、と。

一点だけ公平性のために補足すると、ガキ大将だったYaくんは一度だけ、過去に私に対してやったことを謝ってきた。それは記憶に残っているが、私は彼を許してはいなかった。

2. 中学・高校 ― 愛知県

母の転居に伴い、愛知県の中学校に進学した。中高は平和だった、と長い間思っていたが、それは私が記憶を都合よく書き換えていただけだった。

入学して数日後、F君という生徒が、冗談のつもりだったのだろう、笑いながらこう言った。

「僕は小学校時代、ずっと虐められてきたから、この中学では虐める側に立つんだ」

同じ頃、F君は他の男子と一緒に、隣の席のOさんの筆箱を地面に投げつけた。Oさんは「はあ〜」とため息をつきながら、散らばったペンや鉛筆を拾い集めていた。私はただ傍観していた。

中学1年のとき、担任だった英語の先生が、女子生徒たちとの雑談の中で一度こう言った。「虐められる側にも問題がある」。

見知らぬ男子たちから頬を撫でられ、逃げられたことがある。F君は、私が座っているとき、股間めがけて腕を力一杯押して「Yくんのアソコ感じちゃったよ〜」と言った。私は仕返しをしようとしたが、彼の方が力が強く、阻止された。中2のとき、そのF君がビー玉を装填した玩具の銃で撃たれ、痛さで涙を溢していた。ここでも私は傍観者だった。同じ頃、帰り際に別の生徒から頬にキスをされ、報復を恐れて受け流したこともある。

高校1年のとき、大柄な「友人」Sa君は、帰り道に「Yくんにこうして付き合ってあげてるんだからさ〜、ジュースを奢ったりとかお金をあげてもいいとか、思わないの?」と言い、私が気に食わないことを言うと頭を叩いた。私は何度か要求を飲んだ。私は相変わらず対等に扱われていないと思っていた。

3. コロナ禍 ― 「誹謗中傷された側に原因がある」

コロナ禍の数年で、私は神奈川県大和市、東京都葛飾区亀有、柴又の一軒家、そして現在の集合住宅の順に住んだ。以下はその順に書く。

コロナ禍に入ってから間もなく、私の瞼は腫れ上がって十分に開かなくなり、眼瞼下垂の状態になった。ストレス性だったのかは分からない。その見た目が影響したのか、職場で上司から「キモいなあ」と言われ、同僚とパートナー社員(派遣社員)からは「キモいなあ〜♪」と歌にして歌われた。話は社長の耳まで届き、彼はオンライン会議で私に言った。「あなたが受けたいじめについては社内で話題になっている。あなたを幸せにできずに申し訳なかった」。

職場だけではなかった。都内や神奈川県大和市の街角で、すれ違う見知らぬ人から、私を見て「キモいなあ〜」と言われることが、断続的に続いた。そして、自分の出す生活音を理由に、複数のアパートの隣人からも誹謗中傷を受けた。

神奈川県大和市の3階建てマンションでは、1〜2階が賃貸で3階にオーナー一家が住んでいた。引っ越し当日、トイレの音がしたり、シャワーを浴びたりしていると、3階から「キモいなあ」という声がした。数日後、インターホンが鳴り、画面にはオーナー家族の老人が薄気味悪い笑みを浮かべていた。隣人は文句を言いながら壁に物を投げつけ、私が無職だと思ったのか、ベランダで「無職の癖に」と呟いた。会社の同僚からオンラインで講義を受けているとき、下の階の隣人が「うるせえんだよ!!」と怒鳴り、窓を思い切り閉めた。管理会社に相談すると、「本当に働いているのであれば、会社に出社したらどうですか?」と言われた。弁護士に電話で相談し、後日もう一度かけると、無応答だった。ブロックされていたのだろう。

2ヶ月で退去した。同じ時期に、私以外にも約5部屋の住人が退去していた。

東京都葛飾区亀有のアパートでは、外資系IT企業の英語面接を終えた直後に、上の階の隣人が「うるせえんだよ!」と怒鳴り、物をガシャンと落とした。スマホのバイブレータが鳴っただけで、「何やってんだ?」と言われた。補足すれば、これは彼らの発言の一部に過ぎない。

亀有警察署の生活相談課に「これはイジメではないか」と相談すると、警官は言った。「でもオンライン面接をアパートでやったのはあなたですよね!!」

半年後、私は柴又の一軒家を借りた。隣人はゼロで、トラブルもゼロになった。警察署に改めて引っ越し前のアパートでの苦情を言うと、担当警官は疑わしげにこう言った。「あなたは今どちらに住んでいるんですか?引っ越したと言いましたよね?あなたはそこでもキモいとか誹謗中傷を受けているんですかねえ〜?」とまるで、誹謗中傷される原因が私自身にあり、だから問題はないのだ、と言わんばかりだった。私は「今は一軒家に住んでいます。それ以来、言われた覚えはありません」と答えた。

付け加えると、こうして問題を警察に相談するたびに、私は必ず、名前、生年月日、連絡先、住所、そして所属している会社名を聞かれてきた。名前や連絡先は記録のために要るのだろう。だが、中傷の相談に来た人間に、所属会社を尋ねる必要が本当にあるのか。「今どちらで仕事をされているんですか」と、まるで無職ではないかと確かめるような聞かれ方をした記憶も、薄っすらとある。相談者の立場を値踏みするようなその問いに、私は違和感を覚える。

その後この警官は、「その隣人に事情を聞きます」と言ったが、後にその警官は部署異動し、しかも「本人が捜査の打ち切りを了承した」と、私が言っていないことを記録に残していた。次の担当者はこう言って電話を切った。「まあ、あなた今一軒家住まいでトラブルゼロなんですよね?なら良かったじゃないですか。この件は忘れましょう♪」

別の弁護士に電話をすると、疑い深い声で「それはあなたに問題があるのではないですかね?」と言い、「相談料として数万円いただきます」と言った。

私に問題があるのなら、どこに住んでも同じことが起きるはずだ。私はこれまで15回ほど引っ越しをしてきた人間で、隣人トラブルはコロナ禍の集合住宅が最初で最後だった。柴又の一軒家ではゼロだった。私はその後再び集合住宅に移っていたが、1年経って、上の階から一度「キモい」と聞こえたきり、何も起きていない。

この一連の出来事で3回引っ越し、100万円以上を払った。弁護士も警察も公的機関も、私を助けようとしなかった。むしろ「誹謗中傷された私に原因があるだろう」と言った。

思い返せば、コロナ禍には全国で隣人との騒音トラブルが多発していた。警視庁が2020年3〜4月の2ヶ月間に受理した騒音関連の110番通報は約2万4200件で、2019年の同じ2ヶ月間の約1万8900件から28%増えている[1]。近年の民間調査でも、6割超が「ご近所トラブルを経験した」と答え、原因の最多は騒音だった[2]。

私は今も、スピーカーをつけずにヘッドホンで音楽を聴き、静音性を明記した高額なキーボードとマウスを買って、この文章を書いている。

4. 職場 ― 「死んだそいつが悪い」

IT企業にいた頃、社長は北海道出身の30歳の男性だった。彼は学生時代、部活で上級生から日常的に顔や目を殴られ、失明するのではないかと心配していたという。同年代の知人は、「自称友人」たちに車にロープで体を繋がれて町中を引きずり回され、致命的な傷を負って死んだ、と彼は言った。

私が「ひどいですね」と言うと、彼は言った。

「俺はあんたと違ってスラム街で生きていたようなもんなんだよ。それに、ひどいですね、とあんたは言うが、死んだそいつが悪いんだ。そんな奴らと絡んでいたから悪いんだ」

彼は強い。強くなければ生き抜けなかったのだろう。ただ、今の私は彼の言い方に違和感を覚える。ついでに言えば彼は私の過去を知らない。

旭川で女子中学生が凍死した事件を、覚えているだろうか。あれも北海道だった。

後で知ったことがある。国立教育政策研究所の追跡調査では、小学4年から中学3年までの6年間に、いじめの被害も加害も経験した子どもは9割を超える。3年間で見ても8割を超える。傍観者の割合は、学年が上がるほど増える[3]。被害者が加害者に転じることも、珍しくない。

文部科学省の令和6年度調査では、いじめの認知件数は76万9千件で過去最多、児童生徒1000人当たり61.3件だった[4]。都道府県別では、山形県が1000人当たり117.7件で全国1位、山梨県102.3件、北海道101.4件と続く。山形県は5年連続で全国最多だ。文部科学省はこの数字を「いじめを見逃さず積極的に認知している表れ」と説明する。2013年の法律で定義が広がり、軽微なものも数えるよう求めた以上、熱心に数える自治体ほど件数が増えるのは事実だろう。だが、その説明では、山形でも北海道でも子どもが死んでいることは説明できない。2025年の小中高生の自殺者は538人で、統計のある1980年以降で最多。原因・動機で最も多かったのは学校問題の251件だった[5]。

私の生まれた山形県と、社長の北海道。どちらでも、いじめが原因で子どもが死んでいる。

踏まれた側が、誰にも気づかれないまま終わる例を、もう一つ挙げる。私の知人は、相変わらずゼネコン体質のIT業界の末端で働いている。2017年頃、顧客から無理難題を押し付けられ、3ヶ月以上にわたって月100〜150時間の残業を余儀なくされた。納期は守ったが、過労で糖尿病になった。ストレスと睡眠不足で、毎日栄養ドリンクを2本飲んでいたそうだ。医師の説明はこうだった。「ストレスや睡眠不足で代謝が落ちている中で、あなたはそれに気づかず糖分入りのドリンクを飲み続けた。体は血糖の上昇を止められず、握り潰された」。彼は労災認定されていない。

2015年、大手広告会社に勤めていた東大卒の女性が過労で自ら命を絶った。報道は大きく、労災も認定された。それは正しいことだった。ただ、同じ死に方をした人は過去にいくらでもいて、その多くは有名な会社にも、有名な大学にもいなかった。彼らのために、報道と国は同じように動いただろうか。

日本の人間は、「誰もが共感できる犠牲者」と「誰から見てもわかりやすい悪役」が揃わないと、動こうとしない。日本は、加害者が裁かれることも、被害者が守られることも、どちらも薄い。そして、被害者と弱者は地続きだ。いじめを受けていなくても、踏まれる側にいる人間は、日本にいくらでもいる。抜本的に変える意思が、見えない。

5. 構造

25年分を並べて、私が見ているものは一つだ。

小学校で、加害者だったSh君が被害者になった。中学で、被害者だったF君が「今度は虐める側に立つ」と宣言した。「虐められる側にも問題がある」と、中学の担任が言った。「誹謗中傷された側に原因がある」と、警察と弁護士が言った。「死んだそいつが悪い」と、いじめを生き延びた経営者が言った。「弱者の味方をする気はない」と、テレビの中の有名人と政治家が言った。

そして今年、消費者トラブルで助けを求めた先は、どこも同じだった。「あなたを守る法律はない」「弁護士を探すしかない」。言い換えれば、金を払ったお前の責任だ、ということだった。その経緯は別の記事に書いた。

弱者が強者の論理を内面化し、次の弱者を踏み潰す。

これは陰謀ではない。踏まれた人間が、踏まれないために踏む側に回る。踏む側に回れなかった人間が、踏まれ続ける。教室にも、職場にも、アパートにも、家族にも、国家にも、同じ構造がある。

そして私自身も、その中にいた。Mi君と距離を置きたいと思っていた。Oさんの筆箱が散らばるのを見ていた。F君が撃たれて泣くのを見ていた。私は被害者であると同時に、傍観者だった。それを書かないなら、この記録は嘘になる。

おわりに

私は彼らを許すつもりはない。

公平のために書いておく。学校時代の彼らについては毎日、悪意を持って私に接していたわけではない。仲良くしてくれた日もあった。ただ、25年分の記憶を見返して分かったのは、私が彼らを許していなかったということだ。そして今の私には、仲良くしてくれた者と、そうでなかった者を、区別する力がもう残っていない。

彼らは何の裁きも受けず、私は治療のために、これから数年と数百万円を払う。その非対称は事実で、この記録を公開することが、私に残された裁きの一つだと思っている。

少なくとも私は、日本で、いじめや誹謗中傷の加害者が裁かれた例を、身近に一つも知らない。


出典

[1] 東京新聞「騒音トラブル通報3割増 警視庁」2020年5月(3〜4月の騒音関連110番 24,245件、前年同期 18,864件) https://www.tokyo-np.co.jp/article/16648

[2] フリエ住まい総研「ご近所トラブルに関する実態調査」2025年(62%が経験) https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000059.000052057.html / マンション・ラボ「マンションご近所トラブルと対策に関する調査」2026年3月(最多は騒音) https://mlab.ne.jp/n/n197668998db2

[3] 国立教育政策研究所「いじめ追跡調査 2019-2022」2024年12月 https://www.nier.go.jp/shido/centerhp/sien/tsuiseki2019-2022.pdf

[4] 文部科学省「令和6年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(認知件数 769,022件、1,000人当たり 61.3件) https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1422178_00006.htm

[5] 厚生労働省・警察庁 2025年自殺統計 確定値(小中高生 538人、学校問題 251件)。報道: 日本経済新聞 2026年3月27日 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD270TB0X20C26A3000000/